桜山軽便鉄道・雑記帳

アクセスカウンタ

zoom RSS 上田交通別所線750V時代・1980年3月<その2>

<<   作成日時 : 2017/03/06 22:35   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 別所温泉の次の駅は、八木沢。続く、舞田、中野、塩田町、中塩田、下之郷まで、各駅に立ち寄りながら、沿線を歩きました。

 撮影日:1980(昭和55)年3月4日

 八木沢は、1面1線の単式ホームに接して、こじんまりとした駅舎が建っていました。なんとも好ましい、ジオラマにしたくなるようなたたずまいです。はっきりとは覚えていませんが、当時、既に無人駅になっていたのではないでしょうか。
画像

 舞田〜八木沢間を走行中の、モハ5252(モハ5250形)。この車両は、1928(昭和3)年に上田温泉電軌(のちに上田丸子電鉄→上田交通)デナ202(デナ200形)として製造されたものです。1953(昭和28)年に改番され本形式となりましたが、車体の基本形状はほとんど改造されず晩年まで残り、戸袋の楕円窓にちなみ、丸窓電車の愛称で沿線住民や鉄道ファンに親しまれました。
画像

 舞田は、1面1線の単式ホーム上に小さな待合室が設置された、開業当初から停留所扱いの無人駅です。
画像

 中野は、開業当初は駅員配置駅だったようですが、戦前に停留所扱いの無人駅となったようです。1面1線の単式ホーム上に、簡素な待合室が建っていました。
画像

 中野に停車中の、モハ5250形(ナンバー不詳)。
画像

 塩田町は、1面1線の単式ホームに接して、木造モルタル造りの駅舎が建っていました。従前の3駅と比べると、施設が格段に立派です。駅前の自転車の数などから察するに、利用客も比較的多そうな雰囲気。当時はまだ、駅員が配置されていたようです。
画像

 中塩田の駅舎は、別所温泉の駅舎と共通様式の、木造モルタル造りの洋風デザインでそした。当時駅員が配置されていたかどうかは、判然としません。
画像

 中塩田は、2面2線の相対式ホームで、列車交換可能駅でした。
画像

 上田方には側線があり、農業倉庫が建っていました。
画像

 下之郷〜中塩田間の鉄橋を渡る、上田行き列車(モハ5372)。
画像

 下之郷駅に接近する、上田行き列車(クハ273+モハ5250形(ナンバー不詳))。
 クハ273(クハ270形)は、1936(昭和11)年に東京横浜電鉄(東急の前身の一つ)キハ1として川崎車輌で製造されました。1940(昭和15)年に神中鉄道(相模鉄道の前身)キハ1となり、何度かの改造、改番を経て、相模鉄道ではクハ2505として、1962(昭和37)年に廃車されました。翌1963(昭和38)年、上田丸子電鉄に譲渡されクハ273となり、1984(昭和59)年まで使用されました。
画像

 下之郷は、1面2線島式ホームの交換可能駅に見えましたが、南側の線路は分断されており、また駅舎とホームを結ぶ木製のスロープがかけられ、実質的に1面1線となっていました。かつては、ここから、西丸子線(1963(昭和38)年廃止)が分岐していました。
画像

 ホームから見た、下之郷構内南側。写真中央の、生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)の看板の後ろにあるのが、西丸子線のホーム跡です。元駅舎が、倉庫として使用されていました。
 余談ですが、生島足島神社は、日本の中央にある神社だそうです。
画像

 西丸子線のホーム跡側から見た、別所線のホーム。かつては、駅舎とホームの間にもう一本、西丸子線の線路があったようです。当時は無人駅だったと思います。
画像

 ここから上田行きの列車に乗り、電車区のある上田原まで移動しました。
つづく

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
上田交通別所線750V時代・1980年3月<その2> 桜山軽便鉄道・雑記帳/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる