桜山軽便鉄道・雑記帳

アクセスカウンタ

zoom RSS 上田交通別所線750V時代・1980年3月<その3>

<<   作成日時 : 2017/03/07 22:35   >>

トラックバック 0 / コメント 2

 下之郷から上田行きの列車に乗り、上田原で下車しました。電車区訪問が目的です。

 撮影日:1980(昭和55)年3月4日

 上田原は、2面2線相対式ホームの列車交換可能駅で、上田方と別所温泉方に側線があり、南側に隣接して電車区がありました。

 先ず目に付いたのは、別所温泉方の側線に留置された丸窓電車モハ5251(モハ5250形)。戸袋の丸窓やリベットに、昭和ヒト桁の古典的な趣が溢れています。
画像

画像

 一方、上田方には、東急のグリーンが異色を放つ、デハ3310+クハ3361が留置されていました。 1975(昭和50)年に、東急から借用(※)したもので、朝のラッシュ時に中塩田〜上田の区間列車に使用されていました。
 デハ3310は、1914(大正3)年に製造された木造国電の払下げ車を、1940(昭和15)年に鋼体化したもの。クハ3361は、1947(昭和22)年に、小田原線(のちに小田急電鉄)デハ1158の戦災復旧車体に、戦災国電のTR10台車を組み合わせて竣工したものです。
※1979(昭和54)年に譲り受け。
画像

 電車区の南側、田んぼの傍らの廃車群には、気持ちが高ぶりました。
画像

 サハ61(サハ60形)の廃車体。同形のサハ62は1986(昭和61)年の昇圧まで使用されましたが、この61は撮影前月の1980(昭和55)年2月に廃車となりました。
画像

 サハ24(サハ20形)の廃車体。1931(昭和6)年に飯山鉄道キハニ3として日本車輌で製造され、国鉄を経て、1951(昭和26)年に上田丸子電鉄サハ24となりました。サハ61と同じく、前月に廃車となったばかりです。
画像

 モハ3121(モハ3120形)の廃車体。1936(昭和11)年に善光寺白馬電鉄ゼ100として日本車輌で製造されたもので、同鉄道が運行休止となった1944(昭和19)年に上田丸子電鉄に入線、キハ301となりました。その後、改造、改番され1950(昭和25)年に本形式となりました。丸子線、西丸子線から転じ、別所線では1969(昭和44)年まで使用されました。パンタグラフ、台車、床下機器類は撤去された、ダルマさんです。倉庫として利用されていました。
画像

 モハ3121の車内には、丸子線廃線時のものでしょうか、さよなら運転で使用されたものと思われる横断幕や、標識類が保存されていました。
画像

 サハ22(2代)(サハ20形)の廃車体。1967(昭和42)年に初代サハ22の事故廃車にともない、モハ3122を電装解除したものです。別所線、真田傍陽線で使用された後、1972(昭和47)年に廃車となりました。前身のモハ3122は、1934(昭和9)年に、丸子鉄道(丸子線の前身)キハ1として日本車輌で製造され、後に電車化されたものです。モハ3121同様ダルマで、倉庫として利用されていました。
画像

 サハ22の車内には、真田傍陽線関連の駅名票や、さよなら運転時の車両のデコレーションなどが保存されていました。鉄道模型のレイアウトまであるのには、少々驚きました。
画像

画像

  真田傍陽線さよなら電車のヘッドマークがありました。鉄道ファンNo.133に、このヘッドマークを掲げて走るモハニ4252の写真が載っています。
画像

 モハ5263(モハモハ5260形)の廃車体。モハ5372鋼体化(車体乗替え)前の旧車体です。1926(大正15)年製。
木工場として利用されていました。
画像

 ワフ301の廃車体。木造有蓋貨車。詳細不明。材料庫として利用されていました。
画像

 かなり、長居してしまいましたが、去りがたい思いにかられつつ、夕刻の上田に戻り、115系の普通列車で長野へ向かいました。1980年3月の上田交通別所線訪問記は、以上です。

 この後、長野から23:20発の802レ名古屋行「きそ6号」に乗車し、翌日早朝(4:02着)中津川で下車。廃線後の、北恵那鉄道中津町駅の様子を見に行きました。その話は、あらためて・・・。

おわり



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
模型化したくなる景色の数々、大変楽しませていただきました。好いですね〜、600V時代の別所線。
何となく“いつでも行ける”と思って後回しにしていたら、気がついた時にはカエルになってました(大汗)。上田原の廃車体の室内に、各線のお別れ看板ほか諸々が収められていたとは驚きです。
みのる
2017/03/08 22:23
みのるさん、こんばんは。
“いつでも行ける”と思っているうちに、廃止になってしまい、悔やんだ例は数知れず…(^^;
廃車体内の保存物には、驚き、感激しました。このような、行ってみないとわからない、思いがけない発見が楽しみでした。
桜山軽便
2017/03/08 23:17

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
上田交通別所線750V時代・1980年3月<その3> 桜山軽便鉄道・雑記帳/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる