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zoom RSS 頸城鉄道ホハ3と新黒井駅跡・1990年10月

<<   作成日時 : 2017/03/12 18:00   >>

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 1990(平成2)年の秋、当時長野県須坂市内に保存されていていた、頸城鉄道ホハ3を撮影する為、紅葉見物を兼ねたドライブに出かけました。

■ 頸城鉄道
・ 区間 新黒井〜浦川原 15.19Km(新潟県)
・ 軌間 762mm
・ 動力 蒸気・内燃
・ 開業 1914(大正3)年10月1日
・ 廃止 1971(昭和46)年5月2日

 1990(平成2)年10月10日撮影

 前置きが少々長くなりますが、ホハ3を含む頸城鉄道のボギー客車の変遷について、簡単にまとめておきます。今回紹介するホハ3と、開業時に製造されたホハ3の区別が判然としない資料をたまに見かけますが、そのようなことがないよう、整理しておきましょう。
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 頸城鉄道開業(1914年)に合わせて、上図の通り、日本車輛で6両のボギー客車が新造されました。このうち、2・3等合造車のホロハ1、2は2等廃止により、ホハ3、4に、畳敷きの特別車ホトク1は、ホジ3に改造されました。さらに、開業時に新造された方のホハ3がホジ4に改造されましたが、後に客車ホハ5に戻されました。

 上図の通り、ボギー客車の変遷を整理してみましたが、一か所気になる点があります。ホロハ1がホハ3に変更されたのが1931年で、開業時に新造された方のホハ3がホジ4に改造されたのが1938年ということは、1931〜1938年ホハ3が2両在籍していたのでしょうか?そのあたりの事情については、私の手持ちの資料でざっと調べた範囲では、よくわかりませんでした。

 疑問を残しつつ、本題に戻ります・・・。

 鉄道ピクトリアルのTOPIC PHOTSの短い記事で、この廃車体の存在を知りました。須坂市井上という土地の道端に置かれているという情報だけでしたが、まあなんとか見つかるだろうと楽観的な見通しで早朝に家を出発。変わり行く初秋の風景を楽しみながら、当時の愛車シビックでのんびりとドライブを楽しみました。

 お目当ての廃車体は、拍子抜けするほどすんなりと見つかりました。緩い坂道の途中、道端の秋草の中にポツンと置かれていました。このホハ3は、どこかの学校で保存されていると、何かで読んだ記憶がありますが、どのような経緯で縁もゆかりもないこの土地にやって来たのか、その辺の事情は不明です。
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 ホハに改造されてからも2・3等客室の間仕切りを残しており、その部分の窓がありません。4+6という独特の窓配置に、2・3等合造車の面影を見ることができます。
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 道路から向かって左側、ブレーキハンドルがある方のデッキの破損が、目に付きました。
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 ブレーキハンドルは、飛行機の操縦桿みたいな形のハンドルです。
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 一方のデッキの様子。形を保っていますが、つる草にすっかり覆われています。
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 頸城鉄道は「マルケー」という愛称で親しまれていました。その愛称が、KUBIKIの頭文字「K」を丸で囲んだだけの実にシンプルな社紋に由来することは、一目瞭然です。
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 床下を覗くと、側梁に以下のように白ペンキで記入されたプレートがネジ止めされていました。

製造所名 日本車両会社
製造年月 大正三年九月
所属鉄道 頚城鉄道

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 台車は外されて、すぐ側の雑草の茂みに隠れていました。草刈りでもしない限り、よく見えません。
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 窓が開いているところから車内の様子をうかがうと、ガラスが割れたところから入り込んだつる草がはびこっていた形跡があるものの、外見から想像するほど荒れた様子はみられませんでした。
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 天井の電球や吊革は無く、外れたシートが床に転がっていること以外は、目立った損傷箇所も見当たりませんでした。妻板と間仕切りの部分に鏡がはめ込まれていることや、座席の背もたれが木製であることなどが確認できました。
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 この車体の管理者と思しき男性と、撮影中に少し話をしましたが、この場所で保存されている経緯などの詳しい事情はうかがうのを忘れました。この方は、特に鉄道マニアといった風ではなく、単に保管を任されているといったような感じでした。
 「全国保存鉄道II」(JTBキャンブックス 1994年)の全国保存車両リストによると、この車両は個人所有(非公開)と記載されています。須坂は、従前の保存場所からこの個人所有者のもとへ移送される途中の、一時保管場所だったのでしょうか。

 当初、この廃車体のみが主な目的のドライブでしたが、急遽予定を変更して、頸城鉄道の起点だった新黒井駅跡まで足を伸ばすことにしました。

 信越本線黒井駅に隣接する新黒井駅の跡地は、空地になっていました。一面に生い茂った雑草が、秋風にゆれていました。その中に、コンクリートのプラットホームと駅舎の基礎と思われる部分が取り残されていました。
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 構内のはずれの川に架かるガーダー橋が、赤錆に覆われながらもほぼ原形をとどめているのを見ることができました。その先は、廃線からの年月を感じさせる潅木の茂みの中、緩くカーブした廃線跡が続いているようでした。
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 廃止からずいぶん月日が経過しているにもかかわらず、その駅構内跡地があまり積極的に利用されることなく放置されているこのような例は、沼尻鉄道の川桁駅跡地などでも見られました。そんな連想からか、急に行きたくなって、この後さらに会津・磐梯まで足を伸ばすことになりました。

 日帰りの予定だったドライブは、奥只見経由で会津に抜け、猪苗代駅前の旅館に宿泊するという小旅行になりました。翌日は、沼尻鉄道の廃線跡に立ち寄ったり、木々の色づきはじめた裏磐梯で写真撮影などを楽しんでから帰途につきました。
おわり

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