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zoom RSS 横須賀軍港の廃線跡<下>

<<   作成日時 : 2017/03/20 01:22   >>

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 横須賀で映画を観て、ちょこっと廃線探索をした後、一駅隣の田浦に移動して、周辺の専用線廃線跡の様子を見てきました。平面クロスで有名な廃線跡ですね。
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 横須賀線田浦駅北側の臨港地帯に展開する引き込み線(相模運輸倉庫専用線)の廃線跡について、レポートします。雑誌などで紹介される機会の多かった専用線なので、ご存知の方も多いでしょう。ネット上にも、多くの情報が公開されています。

 手持ちの資料では、Rail Magazin1991年5月号「トワイライトゾ〜ン」の記事(MEMORIES 1に収録)がすぐに見つかりました。20数年経過しているので、状況はかなり変わっています。
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 場所については、下の地図をご参照ください。

 田浦駅北側一帯の倉庫群は、戦前の横須賀海軍工廠軍需部長浦倉庫がその前身です。現在は相模運輸倉庫(株)が所有しています。田浦駅で分岐して、その倉庫の間を縫うようにして敷設されていた専用線の一部を、使用されなくなった今でも見ることができます。
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※地図上の赤丸数字は、以下本文の(1)〜(8)に対応しています。
※写真の撮影日は、特記以外は2017年3月18日です。

(1)相模運輸倉庫
 田浦駅北口から100mほど西に自衛隊横須賀病院がありますが、そのあたりから東方向へ800mほどの道路沿いに、年季の入った倉庫が密集しており独特の雰囲気を醸し出しています。下写真は病院の前から見た3棟の倉庫。反対側が専用線に面しています。
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(2)F倉庫前
 田浦駅北口から最も近い場所です。西向きに線路が2線に分岐して、海上自衛隊艦船補給所のゲート前まで延びています。
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 その最奥部、補給所のゲート前。「トワイライトゾ〜ン」の記事に、この場所に3両のDLが停まっている写真が載っています。
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 東に進みます。道路沿いの線路は、大部分が砂利に埋もれています。途中、線路が田浦駅方向に分岐していたと思われる形跡が見られますが、短いレールが1本頭を出しているだけなので詳細はわかりません。
 奥に見える白い建物は、税関、検疫所、海上保安部などの、横須賀港湾合同庁舎です。
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(3)合同庁舎前
 岸壁の方(写真左側)からの線路と、ここで合流します。ポイントは撤去されており、残っていません。
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 上写真の奥側から。岸壁へ続いていた線路は、土砂置き場の下敷きになっているようです。港内を覗くと、土砂置き場の先に、コンクリートに埋もれたレールが頭を出しているのが見えました。
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 朽ち行く枕木と錆びたレールに萌えます。
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(4)吾妻橋
 吾妻川にかかる吾妻橋。以前は、道路橋の海側にガーダー橋が残っていましたが、最近撤去されたようです。
2005年7月17日と現在の比較です。
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 反対側から、2007年6月9日と現在の比較。合同庁舎側は、橋台が残っています。
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 吾妻川の先、相模運輸倉庫本社前の数十メートルの区間は、線路が撤去されています。

(5)平面クロス
 その先で、田浦駅から米軍の箱崎燃料基地(地図の右上)に南北に延びる線路と、合同庁舎から比与宇トンネル(地図の右端のトンネル)に東西に延びる線路が、直角に交差しています。南北線はこの部分複線になっており、ダブルの平面クロスを見ることができます。
 下写真左が箱崎燃料基地(海)側で、奥がトンネルです。
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 上写真の反対側から。写真右側のゲートの先の区域は、関係者以外立ち入り禁止です。
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 立ち入り禁止区域を覗きます。線路は、見える限りは残っているようです。米軍の燃料輸送は1998(平成10)年頃まで続いていたようで、この南北の専用線が、多分最後まで現役だった区間でしょう。
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 以下写真は2005年7月17日の様子。踏切の警報機が残存し、奥にスイッチャーが2両停まっています。
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 現在は、道路部分の線路は撤去されていますが、その先の田浦駅に続く線路は残っています。
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 同じく、もう一方の平面クロスの、2005年7月17日と現在の比較。
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 踏切や警報機は、2013年初頃に市道整備のため撤去されたようですが、この平面クロスについては、横須賀市が保存を決めたので、撤去を免れたようです。

 踏切のコンクリート柵やリレーボックスは、現在も残っています。
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 南北線の一方と東西線の連絡線がありました。下写真はその分岐部分の、2007年6月9日と現在の比較です。奥に続く線路は右にカーブして田浦駅に続いています。
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 連絡線は、現在は道路の手前で途切れています。
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 連絡線があった頃の様子(2007年6月9日)。田浦駅方向から来た列車は、スイッチバックで合同庁舎方向へ進路を変えることができたのでしょう。
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 上写真の先。トンネルの手前、長浦ポンプ場の前で東西線に合流していました(以下3枚 2007年6月9日)。
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 トンネルの手前で線路が途切れています(2005年7月17日)。2005年と2007年でポイントの向きが違いますね。誰かがいたずらしたのでしょう(私ではありません、念のため)。
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 現在はポンプ場の塀ぎりぎりまで車道が拡幅されており、線路の痕跡はありません。レールは、アスファルトで埋めただけで、地中に残っているのではないかと思います。
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(6)比与宇トンネル
 さらに時代を遡ると、線路はトンネルの入り口から30mくらいのところまで続いていました。トンネル内の線路撤去(埋めただけ?)後もしばらくは、軌道終端の標識が残っていました(2007年6月9日)。
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(7)もう一つの吾妻川のガーダー橋
 横須賀線から専用線が分岐する部分の、ガーダー橋を見ることができます。ここまで架線が張られています。
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(8)長浦港岸壁
 今は立ち入り禁止ですが、30年くらい前は、長浦港内に入ることができました。もしかしたら、本当はダメだったのかもしれませんが、近所の家族連れなどが散歩や釣りに訪れており、自由に出入りできました。

 下写真は1988年7月頃に岸壁で当時の愛車シビックを撮ったものですが、地面にレールが写っています。写真の右側が海で、左奥方向に合同庁舎があります。多分、この辺りのレールは今でも残っているでしょう。
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 廃線の周囲で見かけたストラクチャー類も紹介するつもりでしたが、思いがけず長編になってしまったので、別の機会にします。
おわり

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