桜山軽便鉄道・雑記帳

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zoom RSS 関西・山陽の鉄道をたずねて・1977年7月(下)

<<   作成日時 : 2018/05/13 21:00   >>

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 1977(昭和52)年7月の、関西、山陽地方を巡る旅の後編です。旅の締めくくりは軽便鉄道。そしてトラブル発生で、若干ドッタンバッタンしました。

 (前篇はこちら)
 『関西・山陽の鉄道をたずねて・1977年7月(上)

◆2日目・1977(昭和52)年7月14日(木)つづき
 小郡で山陽線の快速に乗り換え、広島まで移動しました。約2時間半の道のりです。車中、睡魔に抗うことができず、車窓の風景には目もくれず、ほとんど居眠りしていました。

 広島では駅前から広電で原爆ドームに向かい、周辺をぶらぶら散策しました。広電の写真も撮ったのですが、公開できるようなものがないので省略します。
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 広島市街で2時間ほど過ごした後、可部線の旧型国電を見に横川へ。ホームで発着する列車を撮りました。
 クハ79004。1944(昭和19)年に、木造車を鋼体化改造して新形式として誕生したグループです。妻面裾部の形状に鋼体化改造の特徴が見られます。
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 クモハ73001。1960(昭和35)年に、吹田工場で整備改造が施された車両です。改造内容は、全金属車試作改造に準ずる、徹底したものだったようです。妻面上部に屋根布押さえが残っています。
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 クハ79328。1953(昭和28)年製のグループです。この写真ではわかり辛いのですが、日立製の324〜330(偶数)の4両は、乗務員扉の上部にもヘッダーがあるのが特徴です。
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 クハ79501。1972(昭和47)年に、クハ79428に便所を新設し改番した車両です。
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 夕方広島に戻り、呉線ローカルの旧型国電を撮りました。
 堂々の山スカ10両編成。先頭のクハ76059は、1952(昭和27)年度製のグループです。
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 モハ71011。こちらも1952(昭和27)年度製のグループです。
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 2日目の活動はこれでおしまい。この後の予定は、広島発1:05の新大阪行き204レ急行「阿蘇」に乗車して岡山まで移動するというものだったので、それまでの時間をつぶす必要がありました。

 とりあえず映画館で時間をつぶすことにしましたが、終了時間が意外と早くて、20時過ぎには暇になってしまいました。上映作は、スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『タクシードライバー』でした。
 広島駅に発着する列車の見物にも飽きて、あとは待合室でラジオを聞いたり居眠りしながらだらだらと過ごしました。中国放送の『たむたむたいむ』を聞いたのを覚えています……。
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◆3日目・1977(昭和52)年7月15日(金)
 14系座席客車の急行「阿蘇」の車中で仮眠して、岡山着4:10。4:47発の三原行きに乗り換えて広島方面に折り返し、福山着5:56。福塩線の旧型国電を見る予定でした。
 しかし、三原行きの電車で寝過ごしました。目が覚めたらちょうど福山駅でドアが閉まる瞬間でした。1駅先の備前赤坂で折り返し、予定より1時間ほど遅れてやっと福山に到着。ホームで発着する福塩線の列車を撮りました。

 クモハ51043。1936(昭和11)年製の、3扉セミクロスシート車です。新幹線や14系客車と同じ青20号が、しっくりと馴染んでいます。この写真ではわかり辛いのですが、2両目のクモハ51055は茶色塗装でした。
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 クモハ51057は1938(昭和13)年製。登場時はノーシル・ノーヘッダーでしたが、その後の更新修繕によって標準化されています。
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 福山の次に向かったのは笠岡。井笠鉄道の、鬮場(くじば)車庫跡に残存する車両を見るのが目的です。この後は、軽便鉄道探訪になります。

 鬮場のことは、鉄道ピクトリアルのTOPIC PHOTSの短い記事で知りました。笠岡から鬮場までは、なぜか廃線跡ではなく、一般道を歩きました。また、当時の私は陸橋下のホジ9について知らなかったので、見逃してしまいました。
 鬮場には駅舎とホーム、車庫、そして10両の車両が良好な状態で残っていました。想像以上の素晴らしい状況に、狂喜したものです。駅舎は観光会社の事務所として利用されていました。
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 駅舎から見て一番奥の車庫内にホジ8が残っており、塗装の修復作業が行われている様子でした。
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 荷台の柵が塗りな直されて、銀色に輝いていました。また窓ガラスなどが新聞紙でマスキングされていました。
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 ホジ8の奥には、ホジ2とホジ3が並んでいました。前面の窓ガラスが失われ、ヘッドライトも取り外されていますが、車庫内ということで状態は悪くありません。以下の写真はホジ2。
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 その隣の車庫には、奥からホワフ2、ホハ1、ホワフ1が頭を出して並んでいました。ホハ1の奥にはホハ8が、ホワフ1の奥にはホジ101が隠れていました。また雑草に埋もれ、ターンテーブルの残骸も残っていました。
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 駅舎側のホームには、ホワフ3とホワフ4が横付けされていました。模型の参考資料のつもりだったのか、ホワフ3のドアのアップを撮っています。
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 鬮場があまりにもパラダイスだったので、つい長居してしまい予定時間をかなりオーバーしてしまいました。次の目的地は下津井電鉄。倉敷からバスで児島に向かいました。

 下津井電鉄の路線短縮後に新設された児島駅は、1面1線の簡素なもので、軽便鉄道の風情など感じられないものでした。旧児島駅はバスターミナルに姿を変え、付近の廃線跡に残る橋脚などを見ることができました。
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 当初の予定では、下津井まで1往復するつもりでしたが、寝過ごしたり、鬮場で長居したりで時間に余裕がなくなり、断念しました。この日のメインイベントのはずだった下津井電鉄初訪問は、児島駅で列車を1本見送るだけで終わりました。
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 この後バスで岡山に戻り、普通列車を乗り継ぎ、大垣から東京行き344Mで帰途につく予定でしたが、事故で東海道線が不通になってしまいました。なんとか国鉄で大阪まではたどり着くことができたのですが、そこで足止め。
 結局、梅田から河原町まで阪急で移動し、京都発の夜行バス「ドリーム号」で帰途につきました。思いがけず、当時デビューして間もない阪急6300系電車や、廃止直前の京都市電にも乗ることができたのですが、混乱の中、しみじみと感慨にひたる余裕などまったくありませんでした。

 この旅行から帰宅した翌日(1977年7月17日)、キャンディーズの突然の解散宣言がありました(余談)。
おわり

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
私も「普通のモデラーに戻りたい!」
家元
2018/05/14 10:23
こんにちは。
ラストシングルは「ナベトロがえし」(^^:
桜山軽便
2018/05/14 12:14

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