沼尻鉄道廃線跡・1979年川桁付近<後編>

 当時の手帳をあらためて見直すと、廃線跡に関する記述は全くなく(^^;、カレーライス350円とか、野口(英世)記念館入場料200円とか、スペースインベーダー1000円とか・・・・・・、小遣いの支出ばかり詳細に記録されている。 限られた小遣いをどうにか遣り繰りして、寝不足や空腹と格闘しつつ、求めることに夢中だったのであります。

 スペースインベーダーは多分、会津若松23:15発の急行[ばんだい6号]待ち時間の暇つぶしだろう・・・・・・。

 閑話休題。川桁駅構内を一巡した後、廃線跡を歩いた。

 川桁から、次の白津停留所の手前で県道に合流するまでの数百メートルの区間は、集落の中を通る専用軌道だったが、廃線から10年経過した軌道跡地は軽自動車程度なら通行可能な未舗装の生活道路として活用されていた。

 ※撮影:1979(昭和54)年3月16日

●信号機
 川桁を出てすぐ、道端(沼尻に向かって右側)に2灯式信号機の残骸を見つけた。電球ケースの裏蓋は失われていたが、青と赤の色ガラスや電球は残っていた。下の写真は、川桁駅構内方向を振り返った様子と、信号機電球ケースのアップ。

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●観音寺川の鉄橋
 廃線跡の道幅はゆったりとしており、列車が民家の軒先をかすめて通るような状況ではなかったようだ。200mほど進むと、観音寺川の橋梁に出くわす。軽便のガーダー橋をベースに鉄骨のフレームを追加して、軽自動車などが通行可能な程度に幅員が拡げられていた。通行車両の重量制限は1tだった。

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 ※↑すみません、ピンボケです。

●県道に合流するまでの区間
 観音寺川を渡ってすぐの、針葉樹の茂みの脇に鉄道関連と思われる古い電信柱が残っていた。その先の緩やかにカーブする築堤は、いかにも廃線跡らしい光景であった。下の写真は川桁方向を撮ったもの。木立の向こうが観音寺川の橋梁である。

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 次第に民家が減り、集落のはずれには墓地があった。次の白津の集落までは、畑の中の一本道であった。下の2枚は沼尻方向を撮ったもの。

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 白津停留所跡の手前で、廃線跡は川桁駅前から北上してきた県道に合流していた。下の写真は合流地点から川桁方向を撮ったもの。

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 ここから先、内野停留所の手前までは併用軌道だったのだ。白津停留所があったと思われる辺りまで歩いたが、鉄道の痕跡は何も見つからなかった。未舗装の廃線跡に残る自動車の轍が、線路の位置をそのまま示しているようにも見える。

 乗車する磐越西線の列車の時間が迫ってきたので、探索はここで打ち切り、再び廃線跡を歩いて川桁駅に戻った。

 この2年後の1981年に、2回目の廃線跡訪問が実現するのだが、その話はあらためて・・・・・・。

この記事へのコメント

みのる
2015年02月10日 22:58
こんばんは。
スペースインベーダー\1000はかなりの出費だったでのは?(笑)

前編・後編、共に拝見しました。
懐かしさに思わず胸がいっぱいになりました。
川桁~白津を歩きながら、写真でしか知らない沼尻鉄道に想いを馳せた青春の日々!(大袈裟)。(^^;
今井
2015年02月11日 00:48
インベーダーに\1000つぎ込むなら、その分写真撮れよ!と自分にツッコミを入れつつ・・・。
今だから、こうして淡々と回想を綴っていますが、当時はかなりハイテンションでした。緑色の駅舎を見たときは、鼻血が出るかと思いました!青春ですね(^^;;;