木曽森林鉄道廃線跡・1978年上松界隈

 Webサイトの方で公開してきた、鉄道や模型関連記事の、こちら(ブログ)への移動を、順次進めて行く予定です。今回は、木曽森林鉄道廃線跡の訪問記録です。

■はじめに
 1978(昭和53)年の正月(1月2日)、信州・中部地方を旅する途中、中央西線の上松駅で下車しました。天下の名勝寝覚めの床や、桟の旧跡など、付近の観光名所には目もくれずに目指したのは、駅の裏手から木曽川に沿って続く木曽森林鉄道の廃線跡でした。
 木曽森林鉄道とは、中央線の上松駅を起点として、木曽の山中に延びていた森林鉄道の総称であり、小川森林鉄道(小川線)と、王滝森林鉄道(王滝線)およびそれに付随する支線からなっていました。最盛期には路線の総延長が150Kmを超え、日本最大級の規模を有する森林鉄道でした。
 戦後モータリゼーションの波はこの木曽の山奥にも及び、1960年代以降次第に路線は縮小されて行きました。1966(昭和41)年には小川線が、1975(昭和50)年には王滝線が廃止され、木曽の森林鉄道はおよそ60年に及ぶ長い歴史に幕を閉じました。
※その後も、うぐい川支線は数年残存した。

 晩年は、王滝線の学童列車「やまばと号」や、理髪車などのユニークな車両が、マスコミで取り上げられることも少なくなく、鉄道ファンではなくても木曽森林鉄道を覚えている方はいらっしゃるでしょう。私はNHKの「新日本紀行」が、非常に印象に残っています。
 小学生の頃から、この鉄道に是非乗ってみたいと思っていたのですが、その願はついにかなわず、以下に記す廃線探索という形での訪問実現となりました。廃線探索と言うには、歩いた区間がほんの僅かでしたが、私の「廃鉄趣味」の記念すべき第一歩がしるされた(笑)、という意味で、思い出に残るものです。

■上松
 中央西線上松駅の裏手は木曽川に面しており、その段丘上のわずかな平地に森林鉄道のヤードや貯木場が、かつては所狭しと展開していました。貯木場のたたずまいは、往時の雰囲気そのままであり、ヒノキの香りが鼻をくすぐりました。しかし、そこにあったはずの線路や、鉄道関係の施設はすでにほとんど撤去されており、めぼしい遺構は見当たりませんでした。
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 上松には、ひとつ気になる場所がありました。鉄道模型趣味301号(1973年・機芸出版社)で知った、Ωループです。上松駅のヤードと、段丘を下った所にある製材場を連絡する引込線の途中が、Ω状のループ線になっていたのです。このような鉄道ならではの、どこか模型的な情景であり、強く印象に残っていたのでした。
 探すまでもなく、該当の場所はすぐに見つけることができました(地図(A)地点)。ここも既にレールは無く、橋梁も一部架け替えられていましたが、十分に往時を偲ぶことができる光景でした。
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 写真左上が上松貯木場で、段丘を下った所にある製材場に通じる引込線の途中が、下図のようなΩループになっていました。路盤跡、橋梁、橋脚が残っていました。
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 上松貯木場を出てすぐのところに(地図(B)地点)、レールの残る橋梁跡が見つかりました。道路橋の両側に架かっており、「十王沢橋梁」と記された札も見ることができました。
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 その先には、木曽川に架かる大きなトラス橋、鬼淵鉄橋があり、それを渡って右に行くと王滝線、左に行けば小川線でした(なぜか、鬼淵鉄橋の写真を撮りませんでした。痛恨!)。

■王滝線跡 鬼淵~桟
 鬼淵鉄橋を渡ったところが、王滝線と小川線の分岐点で、かつてはヤードや信号所があった場所でしょうか。そこには、長細い平坦な空地が残るのみで、鉄道関連の施設は既に撤去され、何も見当たりませんでした。しかし、地面には、枕木の跡や染み込んだオイルや錆など、線路をはがしてからまだそれほど年月が経過していないことを示す、生々しい痕跡が残っていました。

 ここから木曽川の右岸に沿って北上する、王滝線の廃線跡をしばらくたどることにしました。

 王滝森林鉄道、通称王滝線の廃止は1975(昭和50)年3月のこと(学童輸送列車「やまばと号」は5月30日まで)。軌道跡にはバラストが残り、消え残る枕木の跡に、鉄道の痕跡を感じとることができました。幅員は想像していた以上に広く、鉄の杣道といった、軽便な雰囲気をイメージしていたので、多少ギャップを感じたのを覚えています。雑草もまばらで、廃線からまだそれほど年月の経過していないことや、元々保線の行き届いた路線であったことなどが察せられました。
  キョロキョロ観察しながら、ひっそりと静まりかえった廃線跡を進みました。橋梁やキロポストは当然のことながら、見逃しません。犬走りの、雑草の茂みに転がっている犬釘も、容易に見つかりました。
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 廃鉄入門者にとってはうってつけのコースです(笑)。橋梁や、キロポストなどの発見に喜んでいると、さらに大物が見つかりました。

 本線から分岐して、製材所に通じる引込線の跡があり、それをたどると撤去されずに残る線路が、更に放置された数台の運材車までが残っていました。押せば今にも動き出しそうな運材車でしたが、周囲にヒノキの角材が乾燥させるために並べられているので、実際に試すことはしません。
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 地味な車両ながら、森林鉄道の主役とも言えるのがこの運材車です。木曽森林鉄道では、1,000両を越える運材車が使用され、最も多かったのは岩崎レール製のものでしたが、ここに残っていた運材車はすべて、富士重工製と思われます。台枠の周囲が黄色く塗られていました。
 レールがどの辺まで続いているのか知りたかったのですが、無断で敷地奥まで立ち入るのも気が引けます。三が日の真っ只中、働く人がいるはずもなく、あきらめて本線に戻り、先に進むことにしました。

 程なく、桟の貯木場跡と思われる、荒涼とした空地にたどり着きました。ここも、線路は綺麗に撤去されていました。めぼしいものは特に残っていませんでしたが、敷地の片隅に、廃材と共にうち捨てられた1949年の刻印のあるレールを、かろうじて見つけることができました。

 さらに前進したいという気持ちを抑え、この日の王滝線跡探索はここで打ち切りました。

■小川線跡
 鬼淵まで引き返し、そこからさらに木曽川の下流に向かって続く、小川線の廃線跡をたどることにしました。この後の旅程が狂ってしまうので、あまり長居するとはできず、電車の時間ぎりぎりまで、ほんの1Km弱を往復するだけの探索でした。

 小川線が全廃されたのは、1966(昭和41)年のことなので、既に10年以上の月日が経過していました。王滝線跡に比べると、周囲の薮も茂り、年月の経過がそれなりに感じられました。しかし、緩くカーブしながら等高線に沿って続く山肌に刻まれた路盤は明瞭であり、ガーダー橋の赤いペイントも、まだまだ鮮明でした。自然の風景に同化してしまうには、更なる年月の経過が必要でしよう。
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■保存車両
 中山道側の国鉄上松駅前には、ディーゼル機関車と客車が保存されていました。酒井工作所の8トン機、DB8型99号機と、岩崎レール工業製のB型客車17号です。車体に触れたり、車内へ立ち入ることは自由でした。ファンにとっては嬉しいことですが、この様な状況での保存が続けば、早晩荒廃に見舞われるだろうということは、各地の保存車両の例を俟つまでもなく明らかです。また雨曝しというのも、これらの老朽車両には厳しい条件でしょう。
 これらの車両の、その後の消息が非常に気がかりでしたが、どちらも別の場所に移され、良好な状態で保存されているということを知り、安心したのを覚えています。

 木曽森林鉄道と言えば、酒井工作所の10トン機、DBT10(C-4)型が有名ですが、このDB8型も木曽森林鉄道に本格的なディーゼル時代をもたらすきっかけとなった機関車ということで、忘れてはならない存在でしょう。センターキャブ型のスタイルが木曽ではユニークでした。
 日本交通公社の「全国保存鉄道2」(1994年発行)によると、最新の保存場所は寝覚めの床で、状態はA(良好)とのことです。
※ DB8型99号機:1954(昭和29)年に酒井工作所で製造された8トン機。98号機とこの99号機の2両が製造された。 長さ×幅×高さ=3,940×1,470×2,140(mm)
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 B型客車17号はこの後に、赤沢森林鉄道記念館で動態保存車両として復活しました。1989(平成元)年まで初代「みどり号」として活躍し、その後、同地で静態保存されているということです。
※B型客車17号:1955(昭和30)年岩崎レール工業製。旧所属は上松営林署。
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(おわり)

※冒頭に記した通り、Webサイトにて公開済の記事を、転載したものです。元の記事は、2000年1月2日に作成したもので、画像はスキャンし直し、文章を若干修正してあります。
 Webサイトのディスク整理のため、引き続き、鉄道、模型関連のコンテンツを、こちらへ移動する予定です。

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