横須賀軍港の廃線跡・追補<上>

 2017年03月19日に公開した『横須賀軍港の廃線跡<上>』の補足です。
 同記事で、横須賀駅と軍港を結んでいた引き込み線の廃線跡について紹介しましたが、この線の来歴については詳細不明で締め括りました。それから3年程経ち、在宅勤務で暇を持て余し書籍類の整理などしていたところ、たまたま、この線について記載された書籍が見つかったので、資料からわかる範囲で、概要を整理しました。

 海軍工廠の構内線は、横須賀線の開業(1889(明治22)年)以前から存在していたようです。

■横須賀線開業以前
 下図は、1883(明治16)年の『横須賀一覧図』(『横須賀海軍工廠外史』P.36-P.37)の鳥観図を参考に、推測で現在の地図に線路を描き込んだものです。海軍工廠から正門を経由して、白浜埋立地(現・神奈川歯科大付近)まで、専用線が敷設されたいたようです。埋立地で船荷を陸揚げしていたのでしょう。横須賀線開業の6年前の状況です。
 この2年後、1885(明治18)年の『横須賀一覧図』(『横須賀海軍工廠外史』P.155)では、正門から埋立地までの路線が消えています。
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 その後の構内線の整備について、『横須賀海軍工廠外史』P.35より以下引用します。
 明治19年(1886)3月8日、本所の工業は作業庁として日常重量品の取扱多きをもって従来設置の鉄道にては、なお不完全にして荷車または人肩に依頼する外良法なし。
 かくては到底人員費用を無益に要するのみならず、至急を要する製作品の如きは、その材料運搬に許多の時間を費消し往々その機会を誤るものなきにあらず。
 ゆえに更に各工場の軌道を敷設し在来の線路に連接せしめ縦横に運搬することを得るものとすれば、多くの宿弊は全く除かれ実際の便益ともなり、また方今本所の方針にかなうものとなる。
 よって軌道拡張費として12,531円を18、19両年度営業費より支弁することとし軌道増設を計りたき旨本府に上申したが、3月19日に至り本省上請の末認許ありし旨達せられた。

■震災前
 下図は、1923(大正12)年震災前の『横須賀海軍工廠横須賀地区配置図』(『横須賀海軍工廠外史』P.64-P.65)を参考に、現在の地図に当時の線路を描き込んだものです(一部推測、簡略化)。構内線は、工場やドックを結ぶ支線が整備され、1915(大正4)年には横須賀駅と接続されました。
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■震災後
 関東大震災により、2棟の機関車庫が崖崩れにより埋没するなどの被害が発生し、この復旧を機会に、線路の大改修が行われたようですが詳細は不明です。1935(昭和10)年には6号ドックの建設が始まり、小海トンネルから先へ路線が延長され、1942(昭和17)年には松ヶ浜に造機部の鋳鋼工場が設置されるに伴い、さらに線路が延長されたようです。

■戦中・戦後~廃線
 戦時中は朝夕に、正門脇から松ヶ浜の鋳造工場前の間に、小型2軸客車を使用した動員学徒輸送列車が運行されていたようです。
 戦後米国海軍横須賀基地となってからは、専用線の運行は鉄道省そして国鉄に委託されました。午前、午後の2本、横須賀駅構内と小海トンネルの先の石炭置き場や6号ドックあたりを結ぶ、B20牽引の貨物列車が運行されていたようですが、朝鮮戦争後の1955(昭和30)年頃に、運行を停止したようです。
 下図は、『横須賀線を訪ねる 120年の歴史』に掲載の『横須賀米海軍基地(SRF)の構内鉄道線』(齊藤彰)を参考に、現在の地図に末期(1950(昭和25)年頃)の線路を描き込んだものです。
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■撤去
 貨物列車の運行停止後、しばらく線路は残っていましたが、米海軍基地内の線路は、1983(昭和58)年までにすべて撤去されたようです。横須賀駅構内から第3船台跡地(現・ コースカ ベイサイド ストアーズ )までの引き込み線は、その後も残っていましたが、1998(平成10)年頃までにすべて消滅しました。
 以下写真は、最後まで残った部分です(1998(平成10)年1月31日撮影)。左側が現在のヴェルニー公園、右側が国道16号の陸橋、奥に横須賀芸術劇場が見えます。
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<参考文献>
『横須賀線を訪ねる 120年の歴史』 蟹江康光 交通新聞社 2010年
『横須賀海軍工廠外史』 横須賀海軍工廠会 1991年

「下」につづく


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