戦前の軍艦模型を修復した話

 ちょっと長い前置きから。

 ちょうど太平洋戦争がはじまった頃のこと。まだ子供だった母方の叔父が、家の近所の鎌倉材木座海岸で遊んでいるときに、ひょんなきっかけで知り合った横須賀海軍所属の水兵さんを何人か自宅に連れてきました。それから、彼らと私の母親の実家との付き合いが始まり、曾祖母が、彼らに料理をふるまったり、映画に連れて行ったり、よく面倒をみていたそうです。
 その中のひとり、K機関兵曹とは特に懇意になり、Kさんと私の母親の実家の、家族ぐるみ付き合いは(今日まで)ずっと続くことになりました。

 1943(昭和18)年、叔父の10歳の誕生祝いに、K機関兵曹が長門型戦艦の木製の模型をプレゼントしてくださいました。横須賀海軍の売店で購入したものだそうで、二十歳そこそこの水兵さんには、決して安い買い物ではなかったはずです。いかに叔父が可愛がられていたか、察することができるエピソードです。
 帝国海軍のシンボルである戦艦の模型をプレゼントされた叔父は、大喜びしました。そして、その後もずっとその模型を大切にしてきたのですが、贈られてから半世紀が経過し、さすがにボロボロになってしまいました。

 そこで、私にその模型の大修理の依頼が来たのです。1993(平成5)年のことでした。
 私に預けられた模型の状態はひどいものでした。表面は埃や汚れでくまなく覆われ、あちらこちら破損していました。まず、汚れを落とし、欠落部分を推測で復元し、再塗装するといった手順で修復を進めて行きました。

■ 修復前

撮影:1993(平成5)年1月~8月

 全長は約51.5cm。大改装後の姿を模型化したものです。現代のスケールモデルのような精密感はありませんが、特徴はよく捉えられていると思います。
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 下写真は、艦橋を取り外してあります。
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 マストの上部、水上偵察機の主翼や尾翼、艦橋のトップ、一部の砲身などが破損しています。
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 全体に手すりが表現されていたようで、竹ひごの支柱のみ残っています。手すりのチェーンには木綿糸が使われていたようで、所々僅かに残っていました。アンカーチェーンは、やや太めのタコ糸のようなものが、甲板に塗料で塗り固められていました。主砲、副砲の砲身にも竹ひごが使われています。その他は木製です。部品の取り付けは主に接着剤が使われ、一部釘が使われています。
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 可能な範囲で分解してから、中性洗剤で洗ったり、シンナーで拭いたりして、こびりついた埃と汚れを落としました。それでようやく本来の塗色が現れました。
 船体の軍艦色は、Mr.カラー C32 軍艦色 (2)とほぼ同じ(ほとんど区別がつかない)色でした。艦底色はMr.カラー C29 艦底色より明度がやや高めでしたが、色相はほぼ同じでした。
 艦橋等上部の構造物は船体とは異なる種類の塗料が使われているようで、船体より明度がやや高く、僅かに青みがかったグレーでした。甲板は、くすんだ黄土色でした。いずれも経年で塗料が変質している可能性があるので、オリジナルがどうだったは不明です。
 その他、マスト、煙突上部は黒。主砲、副砲の砲身、偵察機が銀色。舷窓が金色で縁取りされていました。
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 羅針艦橋などの窓が四角い黒塗りで表現されています。
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■ 修復後

撮影:1994(平成6)年2月

 1994(平成6)年の年明けに、修復が完了しました。以下、返却前に撮影したものです。

 マストの上部など欠落していた部分は推測で復元しました。軍艦旗は、タミヤの1/350武蔵から流用しました。オリジナルでは、上部構造物は、上述の通り、船体よりやや明るめのグレーで塗られていましたが、Mr.カラー C32 軍艦色 (2)で統一しました。
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 アルミホイルで簡易海面を作り記念撮影。白波はポスターカラーで描いたもの。
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 この年の5月、叔父と一緒に、群馬で農業を営むKさんを訪ねました。この写真を持参し、半世紀前に誕生祝いにいただいた模型を修理したことを報告し、また、戦時中の貴重なお話など伺うことができました。

 ミッドウェー海戦時、航行不能になった空母赤城の機関室で、将棋をさして時間をつぶしていたこと。移乗した駆逐艦から、魚雷で処分された赤城が沈んでゆくのを見て涙が流れたこと。戦艦比叡沈没時は、退艦準備の命令が早めに出たので、助かったこと。海防艦でグアムから横須賀へ向かう途中、米軍の水上部隊に追われ、命からがら逃げ切ったこと、など、など。つい最近の、日常の出来事でもあるかのような話しぶりでした。

 また、冒頭の、鎌倉の海岸で叔父と知り合い、Kさんが私の母親の実家にやってきた経緯についても・・・。
 
 水兵「おい、坊主、お前に姉ちゃんいるか?」
 少年「はい、います!」
 水兵「今からお前の家に遊びに行ってもいいか?」
 少年「どうぞ、どうぞ!」
 
 そして・・・
 かっこいい水兵さんを嬉々として家に招く少年。
 姉ちゃん(私の母親)が小学生と知り、落胆する水兵。

おわり

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