鶴見線の旧型国電・1975年/1980年

 私が高校生の頃までは、首都圏の路線に旧型国電が残っていました。南武線や横浜線、鶴見線、御殿場線などの、73系(72系)が主なものでした。いずれも、自宅から1時間もあれば行ける場所なので油断していたところ、1970年代の終わりから1980年初頭にかけて、次々と姿を消してしまい(鶴見線のクモハ12は1996年3月まで)、のんびり屋の私はロクに記録を残すことができませんでした。
 見たり乗ったりする機会は何度もありましたが、南武線や横浜線の73系の写真は皆無で、御殿場線は1979年の夏に慌てて訪れた際の写真が若干(こちら)、鶴見線については、今回公開するものがそのほとんどです。

■ 1975年11月頃
 中学2年生の時、同じクラスの鉄道好きの友人と一緒に訪れました。
 クハ79/鶴見駅
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 クモハ12051/武蔵白石駅(大川支線)
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 クモハ12051/大川駅(大川支線)
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 クハ79/武蔵白石駅
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 クモハ73/武蔵白石駅
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 クハ16/浜川崎駅(南武線 浜川崎支線)
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 クモハ11/尻手駅(南武線 浜川崎支線)
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 おまけ クハ111/川崎駅
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■ 1980年1月19日
 73系さようなら運転の前日に訪れました。写真は少ししか撮りませんでした。
 クモハ73507(+モハ72944+クハ79488)/海芝浦駅
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 クハ79488/海芝浦駅
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 ED167/安善駅
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 鶴見駅の鶴見線ホームには、73系引退の挨拶とさようなら運転の案内が掲示されていました。
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 上写真の掲示されていた挨拶文を引用します。
ご挨拶

 通勤通学のみなさん、私は長い間ご利用いただいている七三型チョコレート色電車です。
 生れて約四十年私の過ぎし歳月は波乱万丈でした。
 四二型、六三型そして現在の七三型にと整形され戦中、戦後と鉄道工場で大手術を受けつゝ今日に至りました。
 私達の仲間は「四七六両居りましたが、戦災で焼かれたり、機銃掃射で蜂の巣のようになったりしてひとかたならず生死の中をさまよいました。
 戦後は戦時型車両を改良改良とめまぐるしい明け暮れでしたが、首都圏の通勤通学輸送を一手に引受けて頑張ってまいりました。
 しかし私の心臓も寄る年波には勝てず疲れてまいりましたが、残り少ない仲間と共に永年にわたるみなさんのご愛顧に応えるべく間近に迫った引退の日まで無事故で頑張ります。
 写真の好きなおぼっちゃんカメラに納めるのは結構ですが、危険な撮り方と線路に入ることは絶対にやめてくださいね。
 鶴見駅旅客営業センターでは「線内フリー切符」や「さようなら記念切符」の発売はどうだろうか、また私たちの身体に付いている部品をマニヤの方に買ってもらってはなどと噂もチラホラ聞かれます。
 いずれにしろ仲間の一編成が最後の花道となる「さようならの日」はきれいに飾って送別してくれるものと今からひそかに期待しております。
 昭和五十四年 初冬
  七三型代表
   弁天橋七三

 記念スタンプも用意されていました。
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 73系引退とは関係ありませんが、鶴見駅の旅行センターにて、昭和駅から100円区間の硬券と台紙が、お祝いのプレゼント用に販売されていました。
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 以下、車内で録音した走行音です。安物のポータブルカセットレコーダーによる録音なので、音質は今一つですが、雰囲気は伝わるのではいかと思います。

モハ72944 鶴見線 海芝浦駅ー鶴見駅間 1980年1月19日

クモハ73507 鶴見線 鶴見駅ー浅野駅間 1980年1月19日

 この日は土曜日だったので、多分学校が終わってから出かけたのだと思います。さようなら運転の前日でしたが、三々五々列車を撮影する鉄道ファンを見かけた程度で、どちらかといえば閑散としていたので、少々意外だったことを覚えています。
 先日、chitetsuさんのブログ「吊り掛け電車をもとめて」の鶴見線73系さよなら運転の記事にて、この翌日のさようなら運転の様子を拝見しましたが、ものすごい人だかりだったのですね。
おわり

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